私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

親からの、無言の要望を受け入れ続けた子ども

ある親は言う。
「私は子どもに対して、
勉強していい大学に行って
いいところに就職しろと、
無理強いしたことはない」と。

そして、
「確かにそうなればいいとは思ったけど、
そうなるように強制してはいない」と。

それは事実かもしれない。
その部分だけ切り取れば。

だけど家族とは、
そんな簡単なものではない。

親が口で言わずとも、
子どもは親の心中を察する。

本当は、
いい大学に行って、
自慢できる企業に入社してほしい、
という要望を感じている。

賢い子どもは、
相手が何に関心があり、
何に喜び、
何に悲しむのかを察する。

相手が何も言わずとも、
相手が不足を感じないように、
先回りして、
あれやこれやと整えようとする。

私の夫は、そういう子どもだった。

そして夫の母親は、ぼんやりした人だ。

母親は、
「無理しろなんて言っていない」
と主張するだろう。
「むしろ、そこまで気が回らなかった」
と付け加えるだろう。

子どもだった私の夫が、
理不尽に無理して頑張ってきた理由は、
母親に関心を向けてほしかったからだ。

母親が口で言わずとも、
心の中で、
いい大学に行って
いいところに就職して、
出世してほしい、
と思っていると感じた。

だから子どもだった私の夫は、
その他のものを犠牲にしてでも、
そこに執着した。

いい大学に行って、
いいところに就職して出世すれば、
母親が喜ぶと感じたのだ。

母親に無言の要望があり、
その要望が万物の頂点にあると考えた。

最優先の要望を実現する為に、
犠牲にしたり、
切り捨てたりしなくてはならないものが
あったが、
それをどうするかの議論もなく、
むしろ、
初めから無かったことにしてしまった。

子どもの頃の夫は、
自分の要望を持つべきではない、
出世の邪魔になる交友関係は要らない、
と自分で判断した。

母親は、
「あなたがそう思うのなら、
そうすればいいと思う」と言った。

でもこれは、
子どもの自由を尊重しているのではなく、
子どもに無関心なだけだ。
自分が親の立場から
子どもに有益なアドバイスをしよう、
という気持ちは全く無い。

ぼんやりした母親は、
愛やメッセージを子どもにしっかり届けたい、
という意志が無い。
そもそもその母親に、
愛やメッセージが存在しているのかも怪しい。

だけど子どもだった夫は、
母親から何かしら受け取りたいと切望した。

そしてやっと受け取ったメッセージが、
いいところに就職して、
出世する、
ということだった。

母親からのメッセージ波動が、
微弱であればあるほど、
子どもは自分の中で、
自分なりの解釈を試み、
やっと出た解釈は1つしかないから、
それを大切にし過ぎて、
大きな大きなモンスターに育ててしまう。

幼い未熟な子どもは、
自分の中で育ったモンスターを、
母親由来のものと信じ、
崇高で尊いものだと疑わない。

世間では、
「親がしっかりしてないから、
子どもがしっかり者に育った」
と言われることがある。

夫とその母親もそういう関係だ。

でもそのサイクルで
割を食っているのは子どもだ。

そうやって私の夫は、
子ども時代にじっくり心を蝕まれ、
複雑性PTSDになった。

心で育て上げたモンスターは、
歳を重ねるごとに抑えられなくなっている。

人間の身体が衰えるのと反比例で
モンスターはますます手強くなり、
暴れることが多くなってきた。

夫はこれからも、
モンスターを飼ったまま
生きていくつもりなのか。

もしそうであるなら、
被害を被りたくない私と子ども達は、
夫と別離したほうがいいのかもしれない。

既婚男とのやり取りを悔いている、独身不倫女

私の夫と不倫していたその独身女は、
過去の不倫中のやりとりで、
とても悔いていることがある。

「オマエが一番」
とメールでその男に言われた時、
その独身女はその言葉をスルーしたことだ。

それまで、その女は夢見ていた。
その男が自ら、
「妻と離婚するから、
オマエと一緒になりたい」
と言い出すことを。

その男が、
今の家族とキッパリ決別し、
「オマエを愛している」
とその女の前に白馬に乗って現れるのを。

だけど、
その男の告白は、
その独身女の描いたものとは程遠く、
だいぶ寸足らずに思えた。

しかもその告白の前後のやりとりからして、
愛に満ちたものとは思えなかった。

「他の商売女に乗り換えようかと思ったけど、
やっぱりオマエが一番」
と言ったのだから。

それまで、
その女が競っていたのは
その男の妻だと思っていたけど、
実は商売女だった様子。

だとしたらその男にとって妻は論外で、
全く頭にないということなのか。

その男は、
次なる妻の選定に迷っているのか。

その女はどう応答すべきかわからず、
結果、
その男の告白メールをスルーした。

そしてその2ヶ月後、
妻にその告白メールが見つかり、
不倫は強制終了となった。

その女は、
あの時ワタシがあのメールに
ちゃんと答えていたら…
理想に囚われず、
素直にカレの言葉を受け取っていれば、
今頃ワタシとカレは結ばれていたのに…
と悔やんでいるのだ。

あの時、
恥ずかしがり屋のカレが、
やっと勇気を振り絞って告白してくれたのに、
ワタシはそれを無下にしてしまった…
と後悔しているのだ。

その男の恋心を無視し、
可哀想なことをしてしまったと、
その男のことを不憫に感じているのだ。

その男に、
幸福をあげることが出来なかったことを、
申し訳なく思っているのだ。

だからその女は、
人生の大切な分岐点を、
自分のエゴで無駄にしてしまい、
一緒になれなかったカレとワタシは不幸だ、
と思っているのだ。

ワタシが正義で、
妻が不義だと思っているのだ。

正義が敗者になってしまった現実は、
なんて悲しくやるせないのか、
人間社会の残酷さが身に染みているのだ。

だけど、
その女が感じ取った「現実」は、
残念ながら「事実」ではない。

その男の事実は、
その女を商売女と同列と位置付けていた、
ということ。

しかも、
「オマエが一番」
というメールを書いた記憶がない、
ということ。

心が病みぎみプラス酩酊状態からくる、
出任せの一筆だった、
ということなのだ。

しかしその女は、
今もその言葉に拘り、
その言葉を胸に抱き、
その言葉を何度も反芻し、
その言葉を宝箱に納め、
2人とも救えなかったことを悔いて、
ずっとあの地点にいる。

自分の言動で、
その男の妻に苦痛を強いたことなんて、
全く問題ではないのだ。

その女の問題は、
愛し合っていたのに引き裂かれたと怒り、
ロミオとジュリエット効果」に
どっぷり浸かって出られないことだ。

そして、
正義を振りかざしても、
現実と折り合って生きることにならず、
世の中の「あわれ」を感じている。

吹きっさらしで北風を受けるように、
悔しさと悲しさに揉まれている。

事実と異なるものに振り回され、
勝手に打ちのめされている。

その女は、自分の自尊心を尊重したから不倫することにした

私の夫と長年の不倫をしていたその独身女は、
悩みの多い人生を歩んでいた。

自分のことを、
賢くて仕事ができる
高スペックな人だと自負している反面、
葛藤や嫉妬や焦燥に苦しんだ。

周りの人から見れば、
とてもうまくいっているように見えたはずだ。

地域一番の高校で勉強し、
偏差値の高い大学へ進学し、
医療分野の資格を取り、
優良企業に就職した。

皆が羨むものを持つことができたが、
心の中は満たされなかった。

その空虚感の正体は、
己の自尊心が足りないからだと気付いた。

自分に自信が持てなかった過去に気付き、
自尊心を大切にすべきだと思った。

進学先しろ、
就職先にしろ、
周りの期待に流されたり、
簡単に迎合したりして、
自分の意思を表現できていなかったと思った。

並以下の既婚男に振り回されたり、
もうすぐ孫ができるような初老の男から
結婚で縛られそうになったことは、
若くて賢いワタシと釣り合わないと思った。

ワタシは自分を大切にすべきだ、
ワタシはワタシの心に寄り添うべきだ、
ワタシは他人の道具じゃないのだ、
ワタシはワタシを尊重すべきだ!
…という風に考えた。

世の中には、
自分自身のことを犠牲してまで
他人を立てるばかりで、
ナチュラルな生き方ができていない人がいる。

そういう人ならば、
その女の「気付き」は当たっている。

周りの親切な人や、
心理系のカウンセラーの人は、
「アナタは自分をもっと大切にしなさい。
アナタの人生よ。
アナタが満たされると思うことに
貪欲になるべきよ。」
というアドバイスをするだろう。

そういう甘く浅い言葉に触発されて、
その考えを、
違う方向へ突き詰め過ぎてしまった。

専門家のアドバイス
受けていないその女は、
自己犠牲の意味を、
強めで激しい解釈をしてしまった。

…だから、
他人の夫に手を出した。

その女は、
自分が大好きだと思える
理想の人と恋人同士になりたくて、
妻子ある男を誘惑した。

自分の「心の叫び」に耳を傾け、
素直に受け入れることに成功した。

ワタシはついに、
自分の自尊心を守り抜けたと感嘆した。

しかも、
自分の気持ちがその男に通じ、
愛し合うふたりになれたと悦に入った。

勇気を出してその男に近付いて、
本当に良かったと安堵した。

みんなも、
自尊心を育むべきだと思い付いた。

……………
本当に、勘違いも甚だしい。

全く、「自尊心」を履き違えている。

そもそも自尊心というものは、
「育む」ものではない。

私は、
自尊心というものは、
育てよう大きくしようとして、
存在できるのもではないと思う。

他の色々な気持ちが満たされた結果として、
ゆっくりお芽吹くように生まれ、
その存在自体も、
確認できるようなできないような、
あやふやなものだと思う。

だから、
自尊心を育てるため、
「ワタシは尊い、ワタシはスゴい」
と唱えたとしても、
せいぜい自己暗示にかかるだけで、
本当の意味での自尊心には
辿り着くことはできないはずだ。

自尊心とは、
そんな明快で単純で簡単なものではない。

結局その女は10年かけて、
自尊心ではなく、
「ちんけなプライド」を育てただけだ。

「ちんけなプライド」は、
「チカラワザ」のお友達だ。
人の見栄を張るための、
安っぽいペラペラのメッキだ。

だから、
その男から、
ひとりの人間としての
尊重された扱いがなされなかった。

「安っぽいちんけなプライド」
に見合った対応しかしてもらえなかった。

自尊心を育むという言葉遊びをしただけで、
本物の自尊心に触れることができなかった。

その女はひとりぼっちになってから、
あの時ワタシの頭に閃いた自尊心は、
一体なんだったのだろうか、
自分の自尊心を大切にするということは、
どういうことなのだろうか…と、
迷宮入りしている。

そして今その女はとりあえず、
「あの男が愛しているのはワタシだ」
という幻想を自尊心を育む糧とし、
生き抜こうとしている。

不倫夫の複雑性PTSDは、愛着障害から始まった

10年近く不倫をしていた私の夫は、
おそらく複雑性PTSDだ。

彼のその病は、
幼い頃の愛着障害から始まった。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

彼の母親は、
彼に愛情を持っていた。

だけど、
彼が欲した分量の愛を、
母親は与えることができなかった。

彼はたっぷりの愛を感じたかったけど、
その母親は
控えめにしか表現することができなかった。

彼は、
感性の鋭い子供だったから、
愛の渇望感情がより強く感じられた。

何かを訴えたくて泣いても、
母親の反応が鈍いので、
泣き声は強く大きくなってしまう。

彼は、
自分の気持ちを伝えて、
母親に何か対処してもらいたいから、
泣き声もジェスチャーも大袈裟になる。

子供をあやす技量が無いその母親は、
オロオロするばかりで、
どうすることもできないから、
結果的に放置となる。

簡単にいえばネグレクトだ。

そしてその頃父親は、
家庭不在が多かった。

母親ができないのであれば、
父親が不足をカバーできれば良かった。

だけど残念ながら父親は、
そういう役割を果たすことができなかった。

今でいう、
母親のワンオペだ。

そしてそこで更に問題なのは、
母親自身に、
自分が子供にネグレクトしているかも、
と不安に思うことが無かった。

正確に言うと、
そこまでの感度や感性が無かった。

もしその母親に、
子供をもて余している自覚や、
ワンオペ育児に危機感を持っていたら、
周りに助けを呼ぶことができたはずだ。

近くに住んでいなくても、
電話で相談することもできた。
親きょうだいは沢山いたはずだ。

だけどその母親は、
そこまでそれが重要だと感じられないから、
周りに相談するに至らなかった。
何か言ったとしても、
相談ではなくただの愚痴だった。

だからその母親は、
子供が自然に泣き止むのを待つ、
ということがルーティーンになった。

本当は、
自分から子供に寄り添い、
子供の望みを叶えたいと向き合うべきだった。

だけど母親は、
暴れる子供をそっとしておくだけだった。

結果的に、
難易度の低い事案には付き合うけど、
難易度の高い、
面倒な事案からは目を背けることになった。

そんなこんなで結局彼は、
自分の欲しがっていた分量の愛や、
気遣いや暖かい眼差しが得られなかった。

空虚感と、無力感と、失望感に、
ふんわりと包まれた。

激しい攻撃を受けたわけではないけど、
彼の心はしっかりと痛め付けられた。

もし彼が、
母親の気質に近く、
のんびりおおらか気にしない、
というタイプだったら、
ここまで拗れることはなかったはずだ。

だけど悲しいことに、
あまりに感性が異なる親子だった。

とてもやるせないミスマッチだ。

母親に悪気はない。
彼女なりに愛情を掛け、
大事にしていたつもりだ。

だけど事実は、
その子供は愛着障害になってしまった、
ということだ。

複雑性PTSD夫の不倫は、必然だったかもしれない

複雑性PTSDの私の夫は、
心が健康な人よりも、
不倫することが簡単だった。

心が健康な人は、
「不倫」自体が、
精神的観点から、
遠くのもののように感じる。

不倫への誘惑が、
自分の身に迫ったとしても、
今の生活を守るため、
誘惑をはねのける気持ちがある。

心が健康な人は、
自分の立場の意味を理解し、
今後の展望を健康的に構築する。

しかし、
心が不健康で、
精神的に病んでいた私の夫は、
上に挙げたこととは
まったく逆の状態だった。

周囲の人が不倫をしていたこともあり、
特別なものだという認識は無かった。

家族の気持ちを慮ることは無く、
今後の展望を構築する、
という考えも無かった。

とりあえずの承認欲求を優先し、
今の苦しみを和らげるという、
目先の解決だけを考えた。

未来のことを考える余裕は無く、
今日をうまく切り抜けることだけに苦心した。

そうしないと、
自分自身を生かすことができなかった。

この世知辛い世の中で何とか生き抜く為に、
激流を上手く泳がねばならいと考えた。

彼にとって「上手く泳ぐ」とは、
強い水の流れに逆らず、
石や岩などの障害物に当たらないように、
回避し続けることだった。

激流を泳いで、
自分の目標するところに行こう、
という高尚なことなんて考えられない。

彼にとって重要なのは、
スイミングフォームが綺麗か、
体を傷つけたくないから、
いかに障害物を避けるかという
表面的なものだけだった。

だから彼は、
任意の場所を目標に定めることはできず、
同じようなところを意味もなく、
ぐるぐる廻って彷徨っているだけだ。

幼少から傷付いた心を持っていた彼は、
自分の体裁を守る術として、
うわべを重要視し、
何とかその場しのぎをして、
誤魔化して切り抜けることを身に付けた。

だから、
独身女性にアプローチされ、
自分の身のこなしが正しいと、
肯定されたと思い喜んだ。

過ちを冒した夜のことも、
自分で過ちだと認めたくなかったから、
自分が関係をコントロールしているつもりで、
そのままその女と交際を続けた。

その女に乗り換えるつもりはなかったけど、
自分を好いてくれるから、
取り敢えずキープしようと考えた。

その女から文句を言われたくなかったから、
自分から電話したり
泊まりの約束をしたりした。

その女が言う
「男前でカッコいい」とか、
「いつも若々しい」とか、
「筋肉が素敵」とかいう誉め言葉は、
その言葉以上に受け取った。

いつもは女王様のようにふるまっている
不倫相手女がそういうと、
とても価値があるものに思えた。

そして、
自分の妻が、
その女のように自分を崇めてくれないことを、
苦々しく思った。

自分の妻の感性が狂っている、
と判断していた。

そうやって、
不倫を成立させて、
自分の自尊心を補強しようとした。

だから、
複雑性PTSDの私の夫が不倫するのは、
必然だったと思う。

妻に不倫がバレて波乱が起こり、
さすがに「不倫はだめだ」
というのは承知したようだ。

しかしながら、
そもそも夫はこの不倫を、
不倫であると認識していなかった。

ただの男女のじゃれあいだと思っていた。

世間でヤンヤ言われている、
ワイドショーやお笑いで
ネタになっている不倫とは別のもので、
自分の方は、
ごく小さなことだと思い込んでいた。

だから、
複雑性PTSDが快方へ向かわないと、
私の夫はまた、
不倫という認識なく、
不倫してしまうのだと思う。

不倫した夫は、たぶん、複雑性PTSD

複雑性PTSDが、
世間でこんなに取り上げられたことに、
私は少し驚いている。

この病気が一般に認知されたのは、
比較的最近だと思っていたからだ。

ところで、
長年の不倫をしていた私の夫は、
おそらく「それ」だ。

夫の不倫を知ってから、
私はじっくり彼の発言や行動を観察したり、
物事に対する考え方について、
随分インタビューを重ねたりした。

同時に心理学や精神医学について、
独学だけど随分勉強した。

その中で、
一番手掛かりにさせてもらったのは、
「複雑性トラウマ・愛着・解離がわかる本」
著: アナベル・ゴンザレス
監訳: 大河原美以
という書籍だ。

そこから私が導き出した夫への診断が
複雑性PTSD」だ。

しかも、
自己愛性パーソナリティー障害と、
アルコール依存性のおまけ付きだ。

出会った頃から、
変わった人だなというのは
とても感じていた。

強く激しい発言や行動をするのに、
その裏で、
ひどく気の小さいところがあった。

気にするポイントは
酷くしつこく拘るのに、
気にしないポイントは
まるで見えていないかのようだった。

そういう極端な言動も、
お茶目なキャラでカバーされていたので、
「面白い人だなあ」と受け流して終った。

でもやっぱり変人に思えるところもあり、
「レアなパターンかも。
心理学の先生に研究してもらおうか?」
と冗談を言っていたのも事実だ。

そう感じた20年前、
夫の心を真剣に解明すればよかったのか、
と思うこともあるけど、
現実的にみて無理だった。

その頃は、
病んでいるとは到底思えなかった。

会社で受けるメンタルヘルス検査では、
毎年正常範囲内だった。

しかもその頃日本ではまだ、
複雑性PTSDの診断ができた医師は、
いなかったかもしれない。

そして随分時を経て、
私は夫の不倫発覚がトリガーとなり、
PTSDと中度のうつ病になった。

毎日何度も涙が溢れ、
気力や体力が削がれ、
希死念慮に覆い被された。

すぐ側で、
私のことを本気で助けようとしてくれる、
愛のある強い人が必要だった。

でも、
私のすぐ側にいた介助候補人は、
小さい頃からの心の傷を抱えた、
ある意味、
私よりも弱々しい人だった。

だから、
「消えてしまいたい」と
泣きじゃくる変わり果てた妻を見て、
大きな衝撃を食らってしまった。

心の中の処理がうまくできない夫は、
妻の病気を治す助けをするどころか、
側で見守ることさえも苦痛だった。

夫は呆然とするだけで動かないので、
私は自分で自分の病気の勉強をし、
自分で治療を進めた。

それと同時に、
明らかに普通の精神状態でない夫について、
病気に違いないと素人なりに研究した。

複雑性PTSDに辿り着いた。

その精神疾患の特徴を知り、
それまで
「どうしてこんな言動するんだろう?」
と不思議に思っていた夫のことが、
少しづつ理解出来るようになった。

私の病気を治す手助けが
満足にできない理由も解った。

解らなかったことが解ると、
自分の周りの濃霧が
少し薄くなったような気がしてきた。

夫への理解は、
私自身の病気治療に繋がったのだ。

その女は、いまだに不倫相手男の妻を妬んでいる

私の夫と不倫をしていたその女は、
いまだに妻への妬みを持ったままでいる。

10年程前その女は、
同じ会社のその男への憧れから、
その男の妻を羨ましく感じるようになり、
妬みへと変容させた。

自分の燻る気持ちをコントロールすべく、
妻を羨ましいと思わない地位になろうと
戦略を立て、実行に移した。

要するに、
妻からその男を横取りした。

そして妻の介入で、
10年近く続いた不倫が終わり、
また独りぼっちに戻った。

寂しいその女は、
その不倫を肯定したかった。

自分の選んだ道は正しかった。
不倫はふたりにとって、
素晴らしい経験だった。

そう思いたいと願い、
いつの間にかそう思い込んで、
その女の心中でそれが現実となった。

そうなるとこの劇場、
悪者は「妻」ということになる。

不倫カップルは、
「妻」がいなければ
ハッピーエンドを迎えることができたのだ。

「妻」さえいなければ、
その女が妻の座へ居座ることができたのだ。

だからその女は、
「妻」のことを憎み妬みの標的にし、
悪の権化と定めた。

ワタシが今、
悲しく寂しい気持ちなのも、
40半ばで独身なのも、
全て「妻」が悪いのだ、
という確信に至った。

いや、
正確にいうと違うかもしれない。

そもそもそういう考え方で、
そういう気持ちを持っていたからこそ、
10年程前、
その女は不倫を仕掛けたのだ。

そういう気持ちで不倫に突入し、
不倫バレして
妻とその弁護士に打ちのめされ、
その後、
また不倫スタートの時と同じ考えに戻ったのだ。

その女は、
10年程の間のゴタゴタで、
何も成長していないということなのか。

まさに壮大な、
バックファイア効果を繰り広げたのか。

本業の科学的医療の世界が嫌過ぎて、
芸術や文化に憧れるあまり、
不倫は人間の本質という考えに
傾倒し賛同しているのか。

平安時代の貴族の不倫や、
時代映画の階級社会の悲しい恋愛に
酔っているのか。

もちろん、
そういうものを芸術や文化として、
自分の心に受け止め、
自分なりの感動をするのは
とても大事なことだ。

でもその感動を、
現代の日本の生活の中で、
自分の都合のよいところだけ切り取って、
自分の行いをそれで補完し正当化しても、
何も進歩が無いということに気付かない。

その女はなぜ、
「妻」に妬みを持つようになったのか。
「妻」がその女の存在を知らないのに、
なぜ一方的に妬みを増幅させたのか。

そこをよく考えなければ、
芸術や文化を勉強しても、
その女が本質的に救われることはない。