私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

その女は、いまだに不倫相手男の妻を妬んでいる

私の夫と不倫をしていたその女は、
いまだに妻への妬みを持ったままでいる。

10年程前その女は、
同じ会社のその男への憧れから、
その男の妻を羨ましく感じるようになり、
妬みへと変容させた。

自分の燻る気持ちをコントロールすべく、
妻を羨ましいと思わない地位になろうと
戦略を立て、実行に移した。

要するに、
妻からその男を横取りした。

そして妻の介入で、
10年近く続いた不倫が終わり、
また独りぼっちに戻った。

寂しいその女は、
その不倫を肯定したかった。

自分の選んだ道は正しかった。
不倫はふたりにとって、
素晴らしい経験だった。

そう思いたいと願い、
いつの間にかそう思い込んで、
その女の心中でそれが現実となった。

そうなるとこの劇場、
悪者は「妻」ということになる。

不倫カップルは、
「妻」がいなければ
ハッピーエンドを迎えることができたのだ。

「妻」さえいなければ、
その女が妻の座へ居座ることができたのだ。

だからその女は、
「妻」のことを憎み妬みの標的にし、
悪の権化と定めた。

ワタシが今、
悲しく寂しい気持ちなのも、
40半ばで独身なのも、
全て「妻」が悪いのだ、
という確信に至った。

いや、
正確にいうと違うかもしれない。

そもそもそういう考え方で、
そういう気持ちを持っていたからこそ、
10年程前、
その女は不倫を仕掛けたのだ。

そういう気持ちで不倫に突入し、
不倫バレして
妻とその弁護士に打ちのめされ、
その後、
また不倫スタートの時と同じ考えに戻ったのだ。

その女は、
10年程の間のゴタゴタで、
何も成長していないということなのか。

まさに壮大な、
バックファイア効果を繰り広げたのか。

本業の科学的医療の世界が嫌過ぎて、
芸術や文化に憧れるあまり、
不倫は人間の本質という考えに
傾倒し賛同しているのか。

平安時代の貴族の不倫や、
時代映画の階級社会の悲しい恋愛に
酔っているのか。

もちろん、
そういうものを芸術や文化として、
自分の心に受け止め、
自分なりの感動をするのは
とても大事なことだ。

でもその感動を、
現代の日本の生活の中で、
自分の都合のよいところだけ切り取って、
自分の行いをそれで補完し正当化しても、
何も進歩が無いということに気付かない。

その女はなぜ、
「妻」に妬みを持つようになったのか。
「妻」がその女の存在を知らないのに、
なぜ一方的に妬みを増幅させたのか。

そこをよく考えなければ、
芸術や文化を勉強しても、
その女が本質的に救われることはない。