私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

その女は、自分の自尊心を尊重したから不倫することにした

私の夫と長年の不倫をしていたその独身女は、
悩みの多い人生を歩んでいた。

自分のことを、
賢くて仕事ができる
高スペックな人だと自負している反面、
葛藤や嫉妬や焦燥に苦しんだ。

周りの人から見れば、
とてもうまくいっているように見えたはずだ。

地域一番の高校で勉強し、
偏差値の高い大学へ進学し、
医療分野の資格を取り、
優良企業に就職した。

皆が羨むものを持つことができたが、
心の中は満たされなかった。

その空虚感の正体は、
己の自尊心が足りないからだと気付いた。

自分に自信が持てなかった過去に気付き、
自尊心を大切にすべきだと思った。

進学先しろ、
就職先にしろ、
周りの期待に流されたり、
簡単に迎合したりして、
自分の意思を表現できていなかったと思った。

並以下の既婚男に振り回されたり、
もうすぐ孫ができるような初老の男から
結婚で縛られそうになったことは、
若くて賢いワタシと釣り合わないと思った。

ワタシは自分を大切にすべきだ、
ワタシはワタシの心に寄り添うべきだ、
ワタシは他人の道具じゃないのだ、
ワタシはワタシを尊重すべきだ!
…という風に考えた。

世の中には、
自分自身のことを犠牲してまで
他人を立てるばかりで、
ナチュラルな生き方ができていない人がいる。

そういう人ならば、
その女の「気付き」は当たっている。

周りの親切な人や、
心理系のカウンセラーの人は、
「アナタは自分をもっと大切にしなさい。
アナタの人生よ。
アナタが満たされると思うことに
貪欲になるべきよ。」
というアドバイスをするだろう。

そういう甘く浅い言葉に触発されて、
その考えを、
違う方向へ突き詰め過ぎてしまった。

専門家のアドバイス
受けていないその女は、
自己犠牲の意味を、
強めで激しい解釈をしてしまった。

…だから、
他人の夫に手を出した。

その女は、
自分が大好きだと思える
理想の人と恋人同士になりたくて、
妻子ある男を誘惑した。

自分の「心の叫び」に耳を傾け、
素直に受け入れることに成功した。

ワタシはついに、
自分の自尊心を守り抜けたと感嘆した。

しかも、
自分の気持ちがその男に通じ、
愛し合うふたりになれたと悦に入った。

勇気を出してその男に近付いて、
本当に良かったと安堵した。

みんなも、
自尊心を育むべきだと思い付いた。

……………
本当に、勘違いも甚だしい。

全く、「自尊心」を履き違えている。

そもそも自尊心というものは、
「育む」ものではない。

私は、
自尊心というものは、
育てよう大きくしようとして、
存在できるのもではないと思う。

他の色々な気持ちが満たされた結果として、
ゆっくりお芽吹くように生まれ、
その存在自体も、
確認できるようなできないような、
あやふやなものだと思う。

だから、
自尊心を育てるため、
「ワタシは尊い、ワタシはスゴい」
と唱えたとしても、
せいぜい自己暗示にかかるだけで、
本当の意味での自尊心には
辿り着くことはできないはずだ。

自尊心とは、
そんな明快で単純で簡単なものではない。

結局その女は10年かけて、
自尊心ではなく、
「ちんけなプライド」を育てただけだ。

「ちんけなプライド」は、
「チカラワザ」のお友達だ。
人の見栄を張るための、
安っぽいペラペラのメッキだ。

だから、
その男から、
ひとりの人間としての
尊重された扱いがなされなかった。

「安っぽいちんけなプライド」
に見合った対応しかしてもらえなかった。

自尊心を育むという言葉遊びをしただけで、
本物の自尊心に触れることができなかった。

その女はひとりぼっちになってから、
あの時ワタシの頭に閃いた自尊心は、
一体なんだったのだろうか、
自分の自尊心を大切にするということは、
どういうことなのだろうか…と、
迷宮入りしている。

そして今その女はとりあえず、
「あの男が愛しているのはワタシだ」
という幻想を自尊心を育む糧とし、
生き抜こうとしている。