トラウマの京都へ、夫と旅行した。
夫と不倫相手女が旅行に行った京都。
2人の不倫旅行はその1度だけらしい。
だけどその2日間の顛末がとても波乱万丈で、
大きなショックを受けたので、
私にとって京都は、
トラウマの1つになってしまった。
トラウマを避け続けることは、
嫌なものに触れないから、
一時的な回復はあるかもしれない。
だけど、
何かの拍子に遭遇してしまったら、
トラウマ症状が出てしまい、
元の悪い時に戻ってしまう危険がある。
それでは根本解決にはならない。
しかもこの京都トラウマは、
私の中の幾つかのトラウマの1つであり、
メインのトラウマではない。
メインのトラウマと正面衝突する前に、
周りの小さなトラウマを、
先に潰しておくのは有効だ。
ラスボスを倒す前に、
雑魚を片付けておくのは、
戦略としては王道だ。
京都トラウマなら、
今の私でも立ち向かうことができるかも、
そう考えた私は、
夫と京都へ旅行することにした。
2人揃って新幹線に乗り、
隣同士の席に座った。
あの時と同じシチュエーションだ。
あの時と違うのは、
私達はこの2日間ずっと一緒に過ごし、
2人揃って帰宅する、
ということだ。
前回は限られた時間しか無く、
近場の観光しかできなかったけど、
今回は遠出もできた。
以前から行きたかった、
郊外の観光地にも行けた。
前はできなかったことが、
今回はできた。
嫌な避けたい思い出は、
温かい安らぐ思い出へ、
塗り替えることができた。
京都を怖いと思っていた気持ちは、
京都を愛する気持ちに覆い被され、
融合し、
和解した。
夫が不倫相手と、
京都旅行したという事実は絶対に消えない。
だけど、
その事実を受け入れることに成功したようだ。
そして同時に、
その事実を自分の中で咀嚼し、
それを踏まえた上で生きていく、
という感覚を知った。
まだ、
「PTSDから回復しました!」
とは言い切れないけど、
こうやってひとつひとつ乗り越えることが、
寛解に近付くことだと、
確かな感覚を得ることができた。
以前の安定していた感覚を思い出し、
フワフワした感覚が少しだけ減った。
そして一方不倫相手女も、
京都トラウマを抱えているかもしれない、
とも考えた。
夫と不倫相手女は、
その京都旅行で言い合いになり、
一度そこで別れていた。
その時点で本当に別れていたら、
その女は、
妻から慰謝料を請求されることは無く、
私の夫を、
こんなにまで怨むことは無かったかもしれない。
その女にとって京都は、
その男から邪険にされた地であり、
その男との気持ちのズレを再確認した地であり、
その男との永遠の別れを決断すべき地だった、
という訳だ。