私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

回避して、問題と向き合わない生き方

私の夫は物事に対して、
「回避」
というスタイルで対処する人だった。

夫は一見男らしくて、
難題を解決してくれるようなパワーを持った、
頼りがいのある人物のように見える。

だけどそれは、
そういう雰囲気を醸し出しているだけだったのだ。

大きな問題が起きたとき、
「まあ、様子をみよう。
こっちが動かなくても何とかなるよ」
という姿勢だった。

私も以前はそういう時、
「まあ、それも一理あるな」
どんと構えた夫を心強く思い、
あれやこれやと考えることを止めていた。

しかし今思い返すと、
夫のあの姿勢は回避以外の何ものでもなかった。

わざわざ問題に介入して、
面倒臭いことに巻き込まれたくない。
そんな大きな話は、オレには関係ない。

…という考え方なのだ。

私は彼の根本を、正しく理解していなかった。
そのこともショックだ。

そういえば、
今までのことを思い返すと、
夫は重要なことから回避する人生を送っている、
と私は思った。

不倫沼から自力で這い上がること、
上司のパワハラを訴えること、
家庭の面倒な仕事、
実親と衝突すること。

夫は回避する案件をどんどん増やし、
いつの間にか、
自分が今どこにいるのかわからなくなっていた。

真正面に見える面倒事を避けるため、
右に曲がり、左に曲がり、
いつの間にかもと居た場所に戻ってきている。

だけど、
自分の場所を俯瞰できない夫は、
まだもとの場所に戻っていていることさえ、
承知することができない。

端から見れば、
とてもマヌケなハムスターと何らかわりはない。

ケージの外の人間から見ると、
「いつも真っ直ぐ行かないから、
結局戻ってきてるじゃん!」
ってことになっている。

それじゃ、進歩があるわけない。

ケージの中の生活でいいのか?
かわりばえのないエサでいいのか?
違う世界を体感しなくていいのか?

ケージの外に出たいのなら、
いつも避けてた真っ直ぐの道を進んで、
出口を見つけないと。

出口を見つけたら、
開ける手段を考えないと。

私のPTSD寛解を阻止しているのは、
そういう生き方しか知らない夫を、
信頼できない気持ちなのだろう。

私が元気を取り戻すには、
「夫の回避癖」がカギなのかもしれない。