私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

ダークサイドの甘え

ここでいう「甘え」は、
ゴロニャンの方ではない。

甘やかされて育った人の話ではない。
不条理の気持ちを持って育った人の話だ。

厳しくしないと甘えのある人に育ってしまう!
と勘違いして、
子供を愛情の薄い厳しさにさらす親がいる。

すると子供は
「親から愛されていないかもしれない」と感じ、
虚しさと悲しさを積もらせることになる。

親からの愛が足りない子供は、
自分の心に虚しさなんてあるわけない!と
自己暗示し、事実を歪める。

そして、
自分の都合の良いように物事を捉えるようになる。

親から充分な愛を享受できない子供は、
親のことを信用できない。

親のことを信用できない人は、
当然ながら、
他人を信用する心や勇気が育たない。
だから、疑心暗鬼の人に育つ。

愛してもらいたい気持ちが強いのに
愛してもらえないから、
いつも心が飢餓状態になる。

「私は可哀想。
みんなは私の繊細な気持ちを理解できない。
こんな荒んだ人間達のことは、
私は人間だと認めない」

ダークな考えにダークを重ね、
どんどんダークサイドに落ちていく。

自分が社会の中の一員であるという、
アドラーでいう「共同体感覚」の
真意がわからないので、
自己利益の達成を最優先に行動する。

一個人の利益だけを追及するので、
自分の周りで生まれる宿題が、
自分自身の宿題だとは気づかない。
自分以外の人の宿題だ、と本気で思っている。

だから、自分以外の誰かが
問題の処理をすべきだとし、
自分は安全な所に逃げる。

それが「甘え」である。
ダークサイドの甘えだ。

育った環境が良くなかった、
というアンラッキーがあるのは事実。
でも、そういう環境で育っても、
ダークサイドの甘えを跳ね返し、
成熟した大人は沢山いる。

しかし、ダークサイド甘えの人は、
しっかり育った人を見て、
「あの人は感受性が弱い」
もしくは、
「機微を感じ取れない劣った人」など、
蔑むようなことを言う。

そういう歪んだ見解もまた、
ダークサイドの甘えならではである。

私の夫の不倫相手は、まさにそんな女だ。
自分勝手な理屈をこねて、
自分以外の人々は敵だと思い込んでいる。

でも、ひとりぼっちは苦しい。
強い味方が欲しい。

そうやって、
社内で唯一かまってくれる男である私の夫に、
戦略を持って近付き、距離を縮めた。

自分の望みの為なら、
他人の家庭を壊しても構わないという、
ダークサイド甘えに従って。