私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

ふたりの不倫は、不健康な依存関係

私の夫と、その不倫相手女は、
不健康な依存関係だった。

私が考える良い関係は、
相手を信じ、相手を敬うところから始まり、
次第に相手のことを愛しく思うようになる。

その温かい気持ちが相手の人に伝わり、
お互いの心の交換をして、
絆を深めていくものだと思う。

そのような過程を経て、
お互いに相手に依存する気持ちを強める、
というのは理解できる。

心のベクトルが
自分の方だけでなく相手にも向き、
相手がそれを受け取って、
相手も自分にベクトルを返してくれる。
そういう依存は、良い関係だと思う。

だけど、この不倫カップルのベクトルは、
残念ながらふたりとも、
自分の方にしか向いていないのだ。

自分の都合や利益のことしか考えないから、
ベクトルの往復運動は無い。

このふたりは、
物理的には近くに居るのだけど、
心理的には遠くに居るということなのだ。

端から見ると、
依存関係のフォーメーションだけど、
実情としては何も交換がなされていない、
という状況だ。

だから、良いモノは生まれない。

苦し紛れに生まれてきたのは、
「期待したけど、良いモノが生まれない」
という焦りから来る、
汚い欲望や、嫉妬、憤り、虚しさなどの、
人間にとって不利益なものばかりだ。

これは一方通行ベクトルによる、
おぞましい排泄物だ。

それでも、
この人と一緒に居られるだけでいいの!
と幸せを感じるのであれば、
そういう関係もアリなのかもしれない。

それを腐れ縁というのかもしれない。

だけどふたりは、
そんな満たされる感覚を得ること…
それさえもできなかった。

ふたりは、
お互いに求めあっていると思っていたが、
その人自身を求めているのではなく、
相手が「提供するもの」を求めていただけだった。

「この人が居るだけで幸せ」
ではなくて、
「この人がこういう事をしてくれるから幸せ」
という条件付きでしかないのだ。

私の夫は、不倫相手女に、
異性との気軽なスリルを求めた。

不倫相手女は、私の夫に、
優越感や征服感を求めた。

実は、
ふたりともお互いに、
相手が求めているものが解っていたはずだ。

「求められているのはワタシ自身でない」と、
無意識のレベルでは理解できていたと思う。

だからお互いに、
相手のことが心底から信用できないのだ。

だから、
こんな不健康で低レベルな依存関係しか
築くことができないのだ。

ふたりは、
ふたりなりの依存関係を深めれば深めるほど、
寂しい気持ちになった。

しかしながらその不倫カップルは、
私が上で示したような見解まで考えが及ばない。

だから、
自分がどうして寂しい気持ちになるのかが、
全く理解できない。

暗闇に迷い込んだまま、
この世で生きるのはとても辛いことだと、
ゾンビのように歩き回るだけなのだ。

実は、出口はちゃんと存在している。

だけど、
出口があるという概念が無いふたりは、
そもそも出口を見極める「目」が無い。

だから、
自力で出口まで辿り着くことができなかった。

私がふたりの不倫を見つけて、
やっと不健康な依存関係が終了した。

その時私の夫は、
既に身も心もボロボロで、
息絶え絶えの瀕死状態だった。

夫は10年近くもの間、
不健康な依存関係に身を投じ、
自分自身を消費してしまっていた。