私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

学力偏差値が好きな、大人の女

偏差値は、
相対的にみて自分の位置がどのくらいなのか、
確認するのに便利なツールだ。

だけど中には偏差値に対し、
必要以上に固執する人がいる。

私の夫の不倫相手女がそうだ。

女は勉強が得意で、
おそらく町内では、
評判の天才少女だったと思われる。

高い学力偏差値を叩き出せることは、
女にとっての自慢であったのだろう。

だから女は、
私の夫にそのことを自慢していた。

そういう類に興味のない夫を捕まえて、
「私はホントは、
あの大学に行ける偏差値があったのよ」と、
20年前の学力のことを、わざわざ取り上げる。

懐かしい高校時代の話を、
他愛もない世間話として、
その時の話の流れとして話しているのではない。

その女は、
「私はこんなにスゴいのよ」
と思われたくて、
高校卒業時の学力偏差値を語るのだ。

おそらく、
「事実を言っているだけなのに、
なぜあなたはそんなに意地悪な言い方をするの?
やっかみなんでしょ」
と女は反論するに違いない。

そう言うのならはっきり言う。

確かに女は事実を言っている。
そして、私の偏差値の方が低かった。
私の言っている論点はそこではない。

学力偏差値の関係ない生活をしている人に対し、
何の脈絡もなく自分の過去の栄光を話すこと。
その意図は、
女のスペックを知らせたいということ。

しかもそのスペックは、
20年も前のことで、今のことではない。

しかも今、その高偏差値であったとしても、
社会人として仕事に就いているこの時に、
何の意味もない。

更にいうと、
「ホントはあの大学にいける偏差値だった」
というだけで、
実際にその大学に合格したわけではない。

そんな薄い話をわざわざ、
偏差値興味のない夫にする女。

なぜそこにこだわるのか?

それは、
女が持っている武器の中で、
トップクラスの強さだからだ。

逆の言い方をすると、
そんな武器しか持っていない。

女は今を生きようとしていない。
過去の栄光に守られたいと思っている。

しかも、
自分自身の固有な長所、という話でなく、
他人と比べて優れているかどうか、
という考え方しかない。

女が取り組まないといけない課題は、
自分の偏差値を上げることではない。

他人と比較せずに、
自分のアイデンティティーをしっかり持つことだ。

そして、
自分なりの幸せは何なのか、
現実的な観点から考察を深めることだ。