私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

バレなければ不倫していいのか

私の夫は、10年近く不倫をしていた。
なぜ?と聞くと、
「バレなければいいと思っていた」
と答えた。

夫は私が、
「不倫は許さない」
という考えである事を知っていた。

もし私が、夫の不倫を知ったら、
私たちの関係が終わるということは、
分かっていたのだ。

私との家庭を壊す気はなく、
あくまで「遊び」のつもりだった。

「妻である私にバレなければよい」
と思っていた、というのだ。

要するに、
「妻にバレなければ、
不倫という事実は無かった事にできる」
ということだ。

その理論では、
妻にバレなければ、
陰で何をしてもよいことになる。

収入を過小申告したり、
転職しても報告しなかったり、
婚外子ができても秘密にしたり、
詐欺をしてお金を搾取したり、
人を殺めてしまったり…

バレなければ何でもよし!
バレなければ無かった事になる!
と考えているということだ。

そう聞いたら、夫は反論するだろう。
「いくらなんでも、
そんな恐ろしいことは内緒にしない」と。

「そんな恐ろしいこと」
とはどんなこと?

結局、
夫の気分で仕訳しているに過ぎない。

夫は、
私の気持ちや、
世間のモラルを考えて仕訳をしていない。

「貴女の気持ちを知っていたから…
それを知ったら貴女は悲しむから…
不倫をバラすわけにいかなかった」
とでも言いたいかもしれない。

なんとも貧弱な認知である。
私の考えを知ってはいたけど、
正しく理解していないということだ。

夫が本当に私の気持ちが解っていたのなら、
不倫相手女から食事に誘われた時、
危機感を感じるはずだ。

たとえ一晩の過ちがあったとしてもすぐに、
妻を裏切った事について、
真剣に考えるはずだ。

バレる、バレない、
という受動的の話ではない。

裏切るのか、裏切らないのか、
という能動的な話だ。

もし裏切るのなら、
それが私の夫が選んだ道だということだ。

自分自身の在り方として、
どう考えているのか。

自分は、
どんな人間になりたいのか。

ひとりの人間の、
生き方の問題なのだ。

だから私は、
バレなければいいという考えは、
激しく侮辱する。