私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

今年も、私の命日がきた

私は実際生きている人間だけど、
一度死んだことがある。

夫の不倫が明らかになった日だ。

その日私は、
それまで経験したことがなかったレベルの
強い衝撃を受けた。

「私」が知らない「私」に、
一瞬のうちに変わってしまった。

それまでの私の精神は、
死んでしまったのだ。

だけど今、
生身の人間としての私は生きている。

だから、
自分の命日はこの日なんだと
意識することができる。

生きているというありがたみがある反面、
命日が近くなると、
あの時の苦しい感情が沸き上がってくる。

私は、
誕生日などの記念日は、
あまり意識に上らないタイプだ。
結婚記念日も定かでない。
戸籍謄本を取り寄せた時に確認するけど、
すぐ忘れてしまう。

溺愛しているはずの子供の誕生日も、
忘れそうになってしまうほど。

だけど、
私が私で無くなってしまった、
私の命日だけは
はっきりと意識することができる。

体が覚えている、
というヤツだ。

その日の季節感を体が覚えているから、
カレンダーで日付を確認する前に、
背中からゾワゾワするものが感じられる。

そして、まるで故人を偲ぶように、
あの日以前の自分のことを想うのだ。

夫の不倫を知らなかった私は、
元気いっぱいに生活してたなぁ。

自分が不幸だとは知らずに、
他人の心配や手助けをしてたなぁ。

何にも知らない無知な私は、
幸せな人生だと思い込んでいたなぁ。

そういう懐かしさを感じながら、
同時に、
夫に精神を殺されたという、
悲しい出来事も思い出す。

夫はとても反省して、
もう悲しませないと言ってくれるけど、
あの時私は殺された
という認識は変わらない。

気持ちでは、
早く夫に「もう大丈夫だよ」と伝えたいけど、
あの時、
私の精神が強烈なダメージを受けて、
人格が変わってしまったというのは、
紛れもない事実だ。

PTSDうつ病を体験して、
学んだことは沢山ある。

精神科の医師達は、
それを糧にして、
人間的にステップアップしてほしい、
と励ましてくれているのは理解する。

だけど私はまだ、
そこまで吹っ切ることができないようだ。

そういう段階ではないのか、
私の精進が足りないのか、
わからない。

あんな体験はしたくなかった。
以前の私に戻りたい。

そういう思いの方が、
まだ強いのだ。

夫の不倫は10年近く続いていた。

多分私のモヤモヤも、
それと同じくらいか、
それ以上の長期戦になりそうだ。

でも、そういえば、
ひとつだけいいことがあった。

自分の命日を感じ、
自分の供養ができるということだ。

以前の自分にお疲れ様と言い、
それはそれでいい人生だったよと、
労うことができるのだ。

今、
生きているからこそできることだ。