私は一度死んだことがある

夫の不倫をきっかけに、いろいろな事をいろいろな角度から考える

不倫夫は、反論されたら腹を立てる男

10年近くも不倫をしていた私の夫は、
反論されたら腹を立てる男だ。

反論、
というのは言い過ぎかもしれない。

夫の意、
以外のことを提案すると腹を立てる、
の方が正しいかもしれない。

自分の発言や行動は、
周りの人間から肯定されるべきだ、
と考えている。

夫が何か言ったら、
「そうだね!それはそうだ!
しかも、それはこういうことにも繋がるね!」
と夫の意見に同調し、
更にそれを、
夫が望む方向に
話を発展させることができれば、
とても満足する。

しかしながら、
「そういう側面もあるけど、
違う方向から見たら別の考え方もあるよ?」
というような、
同調以外の意見を呈したもんなら、
直ぐにキレて、捨て台詞を放つ。

「オマエはオレに逆らうばかり。
いつもそうだ。
オマエと話しても面白くないから、
もうこんな話はオマエにはしない!!」

がしゃんとシャッターを下ろしてしまう。
取り付く島もないのだ。

「自分の考えが
正しいとか正しくないとか関係なしに、
自分の意見を通したい」
というのならば、
周囲の人は、
夫のイエスマンにならなくてはいけない。

仕事上の付き合いの人なら、
そんな感じで乗り切るのはアリだ。

「なんかおかしなこと言ってるけど、
和やかに会話が終わればいいか!」
ということで、
変だなと感じる話を聞いても、
冗談交じりのワハハで終了だ。

ちょっとした知り合い程度なら、
そんなノリでいくのが平和だ。

それ以上に介入する必要は無い。

だけど、
家族やパートナーは、
そんな違和感を見逃すべきではない。

共に生きる、
責任を負い合う仲間なら、
正直に自分の意見を言うのは、
正しい在り方だ。

そこで意見が食い違い、
穏やかな流れるような会話から、
緊張感のある会話に移行するのは
必要なはずだ。

家族が言わないと、
妻が言わないと、
他に誰が指摘してくれるのか?
誰からも、
矛盾や間違いを指摘されなくていいのか?

夫は、
自分の意見が流れるように通らないと
自分自身を否定されたと思うのだ。

カッコよくて頭がいい気の効いたオレ自身を、
否定されたと感じるのだ。

周りから、
自分のことを認められたい、
尊重されたいと願う気持ちが強いから、
周囲の評価に左右される。

周囲の評価からし
自分の価値を確認できないと思っているから、
違の意見に敏感になる。

パートナーや家族が
愛を持って唱える違の意見を、
反乱者の意地悪のようにしか
感じることができない。

愛の世界に包括された小さな地域、
「チカラワザの世界」の住人は、
チカラワザという理論しか知らないので、
人の意見の中にある「愛」がわからない。

遠い未来の見当がつかない
チカラワザ地域の住人は、
目先の心地よさを奪われたことに腹立たせ、
怒りを産み出す。

未来のことを考慮して
違を発した愛の世界の住人を、
陰を呼び寄せた悪者だと判定する。

愛を解ろうとしない人は、
愛を感じることができない。

愛が感じられない人は、
お金や名誉があっても、
渇望感が埋められない。

私の夫は、
全てイエスで対応する人が欲しかった。
だから簡単に不倫した。
不倫をすることで渇望感を解消したかった。
自分の存在を肯定したかった。

現在夫は不倫をしていない。

だけど、
チカラワザ地域から脱出できないのならば、
また不倫するのだろうと予想する。

そういう指摘されたら腹を立てる私の夫は、
愛の世界の方向に足を進め、
家族の居る世界に辿り着けるのだろうか。

彼の寿命が来るまでに。